古/いにしえの面影       其の壱百九十七

怪しい親父輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 撮影日  2005年06月01日 水曜日
福島区 玉川6
尼崎街道が出て来ました〜
福島路地より玉川方面に向かって…
(大阪の街道と道標:武藤善一郎さん著)
私の生涯の路地浦バイブルになりそう。。


先ほどの石畳路地を表から〜
って…ここも駐車場。。

でも、もともと此処は
空き地のような感じでした〜
お地蔵様が有っても良いと
思っていたら〜

有りました〜
アジサイの花が少しだれて〜
雨まだかいなぁ〜??

振り向くと…
極楽寺さんに向かう路地が〜

これもまた路地アイテム〜
木製はしご…
何かの時しか用は無いのですが〜
我が家にも有りました。。

『おっちゃん〜ボールが屋根に上ってん〜
貸してや〜』なんてね。。

消火器と〜
木製掲示板と…

この景色〜いつまでもと。。
祈りつつ〜

白壁の土蔵ではなく
焼き板土蔵の前に〜
ポーター車…
中央市場が近いから??

おっと〜
パーマ掛けてる途中の
オバサマみたいな…(失礼!)

極楽寺さん〜
この間の守口の南宋寺さんの様な
造りですね。

元亀元年(1570年)織田信長は、石山本願寺に攻め入り、この後10年にもおよぶ「石山の合戦」が始まるわけである。天正4年(1576年)石山本願寺を包囲した織田軍に対し、石山本願寺と同盟を結ぶ三好一党は、野田城に立てこもり織田軍と戦うが、織田軍の大軍にはかなわずに信長の手に落ちてしまう。天正6年(1578年)この城は、毛利水軍と戦う織田軍の重要な拠点になるが、その後は歴史から忘れ去られ、現在ではその痕跡を見つけることはできない。明治の初め、「弓場」「城之内」などという地名が玉川付近に残されていたことからも、このあたりに野田城があったのではないかと推測されている。(福島区HPより)

ふーむ。忘れ去られた城か〜
少し掘ったら痕跡は出るかもね。。

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